超現代語訳
川上村の吉野林業を学ぶ
これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。
- HOME
- >
- 超現代語訳 川上村の吉野林業を学ぶ
2022.10.9
■「吉野林業と優良材」に学ぶ (53)
吉野林業の育林の基本的な考え方⑤
―優良材生産と育林技術-
樽丸生産は、明治、大正期にピークに達したが、ともかく吉野地方の主力商品に成長し、吉野林業はスギ酒造用材の育成を軸に発展した。
したがって、樽丸生産が始まって以降吉野地方における施業は、樽丸用材として酒漏れが少なく色合いと木香に優れた木材を生産するため、1ha(ヘクタール)当たり8,000本から12,000本にも及ぶ密植を行い、丁寧な下刈りとひも打ち修理の後、弱度の間伐を繰り返しながら年輪緻密な良質材を育成する施業を確立して行ったのである。
そうした「密植」「多間伐」「長伐期」を組み合わせた、今日に見られる形態の施業が一応体系的に確立された時期としては、江戸時代後期と見られている。
参照:「吉野林業と優良材 (岩水豊 著)」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この流れでは、密植の起源も樽丸生産によるものとなりそうですが、以前にも触れたように、
✔人工植林当初には小面積の焼畑跡地へ農業的感覚で植林を行ったため自然に密植になった。
✔地上権山の売買は植付本数で取引が行われていたので、本数の多いほうが取引上有利であった。
✔疎植より密植のほうがすべての面で手入れが余計にかかるので、地元労働者の雇用増大と安定に寄与し労賃を多く稼げる。
✔人工造林が本格化した18世紀以降、当時の人工造林は面積でなく植栽本数が基準となっており、費用削減のために密植を選択した。
✔幼齢林の段階で立木を商品化するために植えることが目的となっていた。
などなど、他にもそうであろうと思われる様々な見解が並びます。恐らくは要因は一つでなく、起源となった時代の求めたものが同じような結果に向かって進んだのではないかと思われます。