超現代語訳

川上村の吉野林業を学ぶ

これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。

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2020.5.3

■「川上村史 通史編」に学ぶ (31) 
土倉庄三郎とその子供たち

土倉庄三郎は慶応2年(1866年)に下市村・和田氏の娘 寿子と結婚し、11人もの子供たちに恵まれました。

長男:鶴松
次男:龍次郎
三男:三郎 (旧縁 三重県滝野家入り)
四男:四郎 (横浜正金銀行支店長)
五男:五郎 (三島海雲と北京で雑貨貿易商日華洋行を設立)
六男:六郎 (七高時代に死去)
長女:富子 (実業家 原六郎妻)
次女:政子 (外務大臣 内田康哉妻)
三女:大糸 (医師 川本恂蔵妻)
四女:小糸 (医師 佐伯理一郎妻)
五女:末子 (日本興業銀行理事 青木鉄太郞妻)

このように庄三郎は当時の政界、経済界、医学界、在地の富豪等に縁者も多く、県下でも名声を博しましたが、明治後期になって急激に傾きつつありました。

庄三郎自身の派手過ぎる交際費、水陸開路、自由民権運動への投資、教育関係への出費、各地の植林経営、老いてからの地元への寄付援助等、枚挙にいとまがありません。また、60歳頃に長男 鶴松に家業を譲りますが、彼は山林経営を好まず大阪や大陸で手掛けた事業は失敗し大金を消費しました。次男 龍次郎がはじめた台湾の植林もこうした失費の穴埋めにされてしまったようです。
川上村の吉野林業と土倉庄三郎
参照:「川上村史 通史編」歴史編第十二章 土倉庄三郎抄伝

画像:阪本基義氏提供 (土倉庄三郎夫妻と子供たち)

 

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長男 鶴松が山林経営に没頭していたらどうなっていたんだろうとは考えますが、後継者の選択とは本当に難しいものです。


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