超現代語訳

川上村の吉野林業を学ぶ

これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。

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2021.11.6

■「吉野林業と優良材」に学ぶ (17) 
洗丸太・樽丸等商品生産の始り③

樽丸については当初、灘地方へ素材のままで搬出し製造されていたらしいが、享保年間(1716-1735年)に堺の商人が芸州(現在の広島)の職人を招き入れ、黒滝村鳥住で製造法を伝授したもので、その後間もなく川上村高原へも広がり、だんだんと吉野各地で製造し、樽丸に加工して灘地方へ出荷されるに至ったものである。

「密植」によって育成される吉野杉は、年輪が緻密で色合いも良く、他の杉に比べ酒の浸透による目減りが少なく、独特の木香が好まれ上方酒造業界でも好評を博して、樽丸のみならず酒桶、その他の酒造用材として最適とされた。

江戸時代、清酒の先進地であった摂津の伊丹や灘五郎等、上方清酒に対する需要が増加するにともなって樽丸の需要も爆発的に増大したので、上方清酒業の発展にともなって吉野林業が発達したと言っても過言ではない。

また、結果として樽丸生産の増大は、それに適合した木材の需要を促し、今日見られる密植本位の集約施業の発展に繋がったと考えられる。

川上村の吉野林業と土倉庄三郎

 

参照:「吉野林業と優良材 (岩水豊 著)」「吉野林業全書」

 

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増大を続ける需要から、「吉野林業」という独自の育林方法から生産される吉野杉・吉野桧が、しっかりと儲けを生み出すという確証を得て、明治の終わりごろには「吉野林業全書」をもって体系化されることに繋がります。

「密植」の起源をたどれば、銘木であったり、酒造用材に適合する木材を生産する目的が明確にあったわけではないようなので、やはり奇跡のマッチングと思えて仕方ないのですが、決してそんな簡単な話ではありません。


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