超現代語訳

川上村の吉野林業を学ぶ

これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。

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2021.10.31

■「吉野林業と優良材」に学ぶ (15) 
洗丸太・樽丸等商品生産の始り①

吉野材が商品として機内の木材市場へ進出し流通するようになったのは、江戸時代初期の頃である。

当時吉野山地から搬出された木材は、もちろん人工育成ではなく大方が天然材であった。しかし室町末期から江戸初期にかけて吉野各郷で人工植林が起り、部分的にではあれども植林が進捗した。

ところで吉野地方で植林が始まった当初から、今のような「密植」が行われていたかどうかは明らかではない。しかしながら、すでに寛文年間(1661~72年)に洗垂木や洗丸太の製造が行われていたことから判断すると、何かしらの生産目標ないし意図をもって、かなりの「密植」が行われていたことは十分考えられる。

ともあれ「密植」を行った場合は、林木の成長にともなって漸次、除伐、間伐の必要が起ってくる。そうすれば大量の間伐材を洗垂木や洗丸太に製造して販売することを考えついたということは、木材、林産物に依拠して生活を行っていた吉野地方においては、成り行きとして至極当然のことであった。

川上村の吉野林業と土倉庄三郎

 

参照:「吉野林業と優良材 (岩水豊 著)」

 

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吉野の人々によって育てられた素材の良さが市場に認められ、吉野式の林業の仕立てが確立されるタイミングが江戸時代に入ってからで、土倉庄三郎の吉野林業全書により明治時代になってようやく、吉野林業は体系化されます。

じつのところ、この時系列は非常に重要で、簡略的な特徴だけを捉えた吉野林業500年の歴史は非常に大味で、私も聞き始めた頃は疑問も多く混乱したものです。

ここにも記された「密植はいつから行われていた?何のために?」という単純な疑問が、ここまで吉野林業を知りたいという欲求に繋がったことは意外ではあるのですが、知れば知るほど、守り繋げなければならないという思いは強くなるばかりです。


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