超現代語訳

川上村の吉野林業を学ぶ

これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。

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2021.9.23

■「吉野林業と優良材」に学ぶ (13) 
吉野地方における木材生産の始り②

吉野材が大量に搬出されるようになるのは、天正年間、太閤秀吉が吉野地方を領有し、城郭建築や社寺の普請用材として、あるいは京阪神商工都市の発達にともなって建築用材の需要が増加していったことが契機となった。

大阪城や伏見城の築城や、京都方広寺の大仏殿をはじめとする大小社寺の造営で、吉野材や北山材が使用されたという記録が「北山由緒書」には残っている。

しかし、太閤秀吉の時代にはいまだ商品として取引の対象とはされず、貢納的産出の域を出ていなかった。

吉野材が商品として積極的に産出されるようになるのは、徳川時代に入って畿内諸都市の木材市場と接触するようになってからである。

撮影:辻本 勝彦

川上村の吉野林業と土倉庄三郎

 

参照:「吉野林業と優良材 (岩水豊 著)」

 

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太閤秀吉が大阪城を築城したのが、天正十一年(1583年)から慶長三年(1598年)で、最も古く吉野で植林が行われたのが川上村で文亀年間 (1501-1503年)となりますから、吉野地方で人工造林が始まって100年も経過していない頃です。

つまり、大阪城築城に吉野材が使われたという解説はよく耳にしますが、多くは天然林の材であったと思われます。現代で言うところの銘木吉野杉が使われたというより、人工造林の発展のきっかけとなった出来事だと理解しています。


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