超現代語訳

川上村の吉野林業を学ぶ

これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。

  • HOME
  • >
  • 超現代語訳 川上村の吉野林業を学ぶ

2021.9.18

■「吉野林業と優良材」に学ぶ (11) 
吉野地方における人工植林の起り③

吉野地方の植林は、江戸中期にはほとんど各郷に広がる進展を見せて、その造林法は当時諸国に伝えられていたとされる。

しかしそれを具体的に記録したものは稀であり、唯一、江戸末期(1844年)に大蔵永常が著わした「広益国産考」や、嘉永二年(1849年)に興野隆雄が著わした「太山の佐知」等から吉野の造林法はわずかにうかがい知ることができる。

「吉野林業全書」に学ぶ(4)~吉野林業の発端検証 https://yoshinoringyo.jp/blog/14471/ でも触れましたが、吉野地方で最も古い川上郷(川上村)の植林の起りについては、享保十四年(1729年)幕府の採薬使植村佐平次によって記された「諸州採薬記」に、次のような記述がある。

「川上筋の内この辺吉野杉名物にて山の上まで植置あり、他所村の谷に植ある杉より能く生ひ立ち候事」
川上村の吉野林業と土倉庄三郎
すでに約300年前に山の上まで、植林が進んでいたとの推定から、「吉野熊野国立公園の父」とも言われる「岸田日出男」は、川上村の人工植林の起りについて「文亀年間」起源説を支持したとのことです。

また「吉野郡中杉山発端」によると、文治、建久の頃(1185~1198年)屋久島より杉苗80本を貰い受け郡中及び他郡へ植栽し、これが吉野杉の始めなりと伝えられているが、これは極めて原初的なものであり、それが果たしてどこまで増殖されたかは推測の限りでない。

川上村の吉野林業と土倉庄三郎


参照:「吉野林業と優良材 (岩水豊 著)」

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

吉野林業の歴史を紐解けば、多くの文献や論文にたどり着くことができます。全て網羅するのは相当時間が掛かりそうで、「採薬使植村佐平次」の人物像などに興味を持ってしまうと、どんどん脱線しそうな雰囲気です。

吉野林業について正確な情報を伝えられること、未来の糧となる歴史を知ることを目的に学びを進めていきたいと思います。


最新の記事

アーカイブ

  •  

    • 2023 (31)
    • 2022 (56)
    • 2021 (98)
    • 2020 (73)
  • ≪■「吉野林業と優良材」に学ぶ ...

    ≫■「吉野林業と優良材」に学ぶ ...

    最新の記事

    アーカイブ

  •  

    • 2023 (31)
    • 2022 (56)
    • 2021 (98)
    • 2020 (73)
  • ページトップへ