超現代語訳

川上村の吉野林業を学ぶ

これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。

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2021.4.24

■「吉野林業全書」に学ぶ (111) 
吉野材木産業組合本部と飯貝検査所②

(口役銀と開産銀の沿革)

文禄四年(1595年)
太閤秀吉時代に材木口役の取り立てが始まる。

慶長九年(1604年)
徳川家康公より、吉野郡中にて伐り出した材木の十分の一を取り立て、その内より年貢を上納し、余分は農民の助成に使うように命ぜられる。

寛永十四年(1637年)
代官 小野惣右衛門の時に口役銀取立目録を定め、その徴収方法を厳重に改正する。主たる材木以外にも、その他雑木、角材、駄物などに対しても取り立てが行われた。

明治二年(1869年)~
土倉庄三郎と大西吉造が、岩出口銀全廃の件を奈良県庁に数回に渡り上願する。

明治四年(1871年)
岩出口銀が全廃される。

明治九年(1876年)
吉野全郡の関係者と材木方との協議が行われ、開産銀制度が成立。明治二十二年(1889年)に、開産銀の取り扱いは各郷に委ねられることになったが、川上郷(川上村)のみ、明治二十七年(1894年)に開産銀が廃止され、特別税に編入されるまで維持継続された。

川上村の吉野林業と土倉庄三郎


参照:「吉野林業全書」

 

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川上村の財政安定にもつながった開産銀ではあるのですが、土倉翁が政治への関心を高めるトリガーにもなったようです。

もし、土倉翁が費やした巨額の資金が全て「吉野林業」に注がれていたら・・・変わらないのかもしれませんが、悩ましい歴史です。


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