超現代語訳

川上村の吉野林業を学ぶ

これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。

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2021.4.24

■「吉野林業全書」に学ぶ (110) 
吉野材木産業組合本部と飯貝検査所①

吉野材木産業組合本部は、吉野郡吉野村大字飯貝(現在の吉野町)に設置し、併せて同所に吉野材木産業組合 飯貝検査所を置いた。

飯貝検査所は、太閤秀吉の時代、文禄四年(1595年)に藤田又右衛門を代官に命じ、初めて材木口役を取り立てを行った。

通行人の取締りとともに、国境や国内の要所を通過する物資から徴収する一定の通行税を「口役銀(くちやくぎん)」としていたが、「岩出口銀」と呼ばれた「口役銀」は、出荷する材木の十分の一という過酷な現物課税であった。

「岩出口銀」については、吉野郡民総代「土倉庄三郎」が3年半の歳月と、巨額の運動資金を投じて中央官庁と折衝し、明治四年になってその全廃に成功している。

「岩出口銀」廃止にともなって、従前の半額を徴収し、これを林業の撫育に充当するように、「土倉庄三郎」が提案成立させたのが「開産銀」である。

「開産銀」は集荷される和歌山または大阪で徴収され、小学校費、道路修理費、窮民救済に三分の一ずつ使われた。

川上村の吉野林業と土倉庄三郎


参照:「吉野林業全書」

 

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吉野材の歴史の中で、太閤秀吉の「大阪城」築城などが語られますが、まだまだ貢ぎ物的な扱いであったようで、商品としての需要が高まっていったのは徳川時代になってからのようです。

良き時代を経て、どん底の現在、少し思い出したのが「東京オリンピック」に対して、「返却するから木材を提供して」みたいな話がありましたね。(当社は関与していませんが、どうなったのか気になるところです。)

歴史は繰り返すなら、林業復活のフラグが立ったでしょうか。


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