超現代語訳

川上村の吉野林業を学ぶ

これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。

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2021.1.16

■「吉野林業全書」に学ぶ (81) 
材木管(くだ)流しの方法②

寛文元年(1661年)までは、川上郷(現在の川上村)、小川郷(現在の東吉野村)は飯貝(吉野町)まで、黒滝郷(現在の黒滝村)、西奥郷 (現在の五條市の一部)は霊安寺(五條市)まで、十津川郷 (現在の十津川村)、北山郷(現在の上北山村・下北山村)は熊野、新宮(和歌山県)まで、いずれも管流しを行った。

川上村では、万治三年(1660年)より寛文三年(1663年)まで4年に及び、大滝を切り割って、そこから上流の川浚え(かわさらえ)を行い、寛文二年(1662年)からは、大滝より筏流しを行っている。延宝八年(1680年)には和田村字大島(現在の川上村北和田/大滝よりさらに上流)から筏を編むことになった。

そのさらに上流となる、入之波川やその他の支流は、宝暦年間(1751ー64年)までは管流しだけであったが、川浚えが進み、その工事を怠らなかった為、筏を流せるようになり、管流しを行ったのは、支流の数か所となった。

川上村の吉野林業と土倉庄三郎


参照:「吉野林業全書」

 

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様々な工事重機の揃う現在であれば、岩盤を砕き川の流れを変えるということは容易に想像できそうですが、「管流し」から河川運搬の効率化を図るため、ノミや槌をつかって人の手で岩を砕いています。(大滝割滝)

吉野林業の発展に力を尽くした、土倉庄三郎の推進力も凄まじいのですが、これだけの労量が無駄にならなかった「木材需要」もすごいものです。


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