超現代語訳

川上村の吉野林業を学ぶ

これからの時代に活かせることを、
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2020.11.25

■「川上村史 通史編」に学ぶ (34) 
(戦国時代と川上村) 筒井順慶の吉野攻略

『戦国時代の川上村(2) 筒井順慶の吉野攻略』

大和統一の宿願を達した筒井順慶は、松永久秀を大和に導入し、これに内通した大和の国衆らを次々に成敗しました。

畿内での反信長勢力は石山本願寺だけとなり、天正六年(1578年)冬、順慶は石山本願寺方の下市 願行寺、飯貝 本善寺の攻略を命ぜられ吉野郡に出陣します。

ただ門徒化した郷民らは中立の立場をとったため、郡内の地侍たちも合わせて降伏し順慶は吉野郡の平定に成功しました。この際に、吉野の吉水院は順慶に早くから恭順を示したため、その所領であった西川(川上村西河)、高原(川上村高原)などの在所は安堵されました。

天正八年(1580年)、織田信長は朝廷の調停により石山本願寺と和睦し、各地の国衆国侍の制圧を図る目的で、諸城の破却令、すなわち「大和一国破壊命令」を発します。

こうして順慶は筒井から郡山に城を移し大規模な構築に掛かります。戦乱に明け暮れた大和国にもようやく平和が訪れたのでした。

川上村の吉野林業と土倉庄三郎


参照:「川上村史 通史編」歴史編第三章

 

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写真は、原木市場である吉野木材協同組合連合会(奈良県吉野郡吉野町上市)の上空からのものですが、写真の右上方向に「飯貝城」があったそうです。(Googlemapにも名前は記載されます。)

今でも土塁や堀跡などは残っているようですが、機会があれば行ってみたいものです。

それにしても、川上村の目と鼻の先まで戦乱の世が迫っていたようですね。平和で良かったというところですが、「麒麟がくる」で少し日の目を見た筒井順慶が川上村史にも現れて、ちょっと愛着を持ってしまったかもしれません。

 


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