超現代語訳

川上村の吉野林業を学ぶ

これからの時代に活かせることを、
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2020.4.29

■「川上村史 通史編」に学ぶ (27) 
土倉庄三郎と土倉龍次郎

土倉庄三郎が国内各地で造林を進める中、同志社大学を卒業した次男 龍次郎が台湾での造林にも進出します。

龍次郎は大学在学中、同志社大学創始者の新島襄の影響を受け早くから南洋開拓の夢を持ち、卒業の22才の時には父 庄三郎に「南洋雄飛への請願書」といった熱い気持ちをぶつけています。

台湾は熱地帯で高山が多く、高度によって熱帯、暖帯、寒帯の気象条件が混在していますが、当時の台湾総督府は庄三郎の整然な造林、利用の計画を採用しました。

龍次郎は明治35年(1902年)に1万町歩を借地契約して森林開発を進めます。人跡未踏の山奥で条件も悪く苦労の連続であったようですが、戦後は台湾の国有林となり間伐も行われ、沖縄へ電柱として輸出されました。日本から輸出された吉野杉苗木の成木が、日本へ逆輸入されるまでとなったのです。

この美林も「土倉山」と呼び、台湾造林の歴史に刻まれています。
川上村の吉野林業と土倉庄三郎
参照:「川上村史 通史編」歴史編第十二章 土倉庄三郎抄伝

 

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村史の龍次郎の記述はここまでなのですが、台湾の水力発電、カーネーション栽培、カルピス等々、色々と逸話のある方なので、いつかまた掘り下げてみたいと思います。

 

龍次郎が庄三郎の山林経営を継いでいたらどうだったのか、時間は戻りませんが少し見てみたい世界です。(さほど山林経営を好まない、長男 鶴松が庄三郎の家業を継いでいます。)


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