超現代語訳

川上村の吉野林業を学ぶ

これからの時代に活かせることを、
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2020.3.29

■「川上村史 通史編」に学ぶ (18) 
土倉庄三郎と新島襄

郷土の教育に熱心であった土倉庄三郎は、高等教育にも温い理解を示し援助を惜しみませんでした。

同志社専門学校長 新島襄は同校の大学への昇格を望んでいましたが、この運動には協力者として庄三郎も一役買っており、後年の「新島先生書簡集」や校史の類にも、庄三郎の名が散見します。

明治15年(1882年)1月9日、新島は京都を発ち大阪泊、10日は御所泊り、ついで吹雪の中を古瀬、上市、五社峠を越えて、川上村大滝の土倉邸に到着、12日には同校を大学に昇格させる資金として5,000円(現代の価値で5千万円以上)の寄付を約束させています。

庄三郎のその5,000円を『筆頭』に、井上馨、大隈重信、岩崎弥之助、渋沢栄一ら政界・財界から多くの寄付を集めました。

庄三郎が同志社を支援したのは、単に自らの子弟を預けた (次男の龍二郎、三男の三郎と甥の愛造が明治13年に同志社に入学しています。) というわけではなく、新島の熱烈な思想に共感するところがあったからでしょう。
川上村の吉野林業と土倉庄三郎
参照:「川上村史 通史編」歴史編第十二章 土倉庄三郎抄伝
画像:国立国会図書館デジタルコレクション 電子展示会「近代日本人の肖像」 (新島襄)

 

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NHK大河ドラマでは、妻 新島八重が描かれましたね。
新島襄の八重に対する言葉です。「彼女は見た目は決して美しくはありません。ただ、生き方がハンサムなのです。私にはそれで十分です。」

こんなカッコイイ夫妻に手を差し伸べた庄三郎の人生も、いつかドラマとして描かれないものか楽しみにしています。


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