超現代語訳

川上村の吉野林業を学ぶ

これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。

  • HOME
  • >
  • 超現代語訳 川上村の吉野林業を学ぶ

2020.3.8

■「川上村史 通史編」に学ぶ (13) 
土倉庄三郎誕生

天保11年4月10日(1840年)、土倉庄三郎は三代目庄右衛門の長男として大滝村(現在の川上村大滝)に生まれました。幼名は焏之助、幼少7歳のときに人知村(現在の川上村人知)の上村勇造宅に居候して手習いや読書・算盤を習っています。

オランダ国王ウィレム2世が江戸幕府に開国勧告を行ったりしていた時代ですが、吉野の山村はまだ静かな生活にあけくれています。

嘉永6年(1853年)、14歳になると増口村(現在の大淀町のうち)の是助のもとへ生け花や謡曲などを習いにに通っています。
庄三郎の受けた教育はそこまでで、後代の自由民権家、開明的な思想の持ち主として、世間を啓蒙推進するような端緒はどこから得たものかははっきりしていません。

16歳、17歳の青年時代からは、家業の山林業はもちろん父の公職であった吉野郡材木総代を継ぎ、宇兵衛事件(材木方汚職事件)や和歌山藩木材口銭の解決に尽力するなどして、いよいよ新政府から「吉野川水陸路御用掛り」を命ぜられるのです。
土倉庄三郎と吉野林業
参照:「川上村史 通史編」歴史編第十二章 土倉庄三郎抄伝

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



嘉永6年(1853年) 黒船来航
嘉永7年(1854年) 日米和親条約調印
安政5年(1858年) 大老井伊直弼 日米修好通商条約調印~安政の大獄
安政7年(1860年) 桜田門外の変

幕末~明治維新の日本史と、土倉翁をリンクして考えたことはあまりなかったのですが、こうやってみるとすごい時代ですねえ。

文久3年(1863年)には奈良県五條で「天誅組の変」もあったわけですから、どんな思いで過ごされていたのかなあと、また別の興味をかきたてられます。


最新の記事

アーカイブ

  •  

    • 2023 (31)
    • 2022 (56)
    • 2021 (98)
    • 2020 (73)
  • ≪■「川上村史 通史編」に学ぶ ...

    ≫■「川上村史 通史編」に学ぶ ...

    最新の記事

    アーカイブ

  •  

    • 2023 (31)
    • 2022 (56)
    • 2021 (98)
    • 2020 (73)
  • ページトップへ