超現代語訳
川上村の吉野林業を学ぶ
これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。
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2019.12.30
■「川上村史 通史編」に学ぶ (2)
吉野林業 誕生前夜
中世に入ると吉野地方の林野の利用が活発になってきます。郷民の自給的利用だけでなく、轆轤杣ノ座置状(川上村高原地区に残る15世紀の文章)では、木地製品(木製の椀や盆等)・桶榑(オケクレ:桶をつくる板材)・雁皮(ガンピ:紙の原料となる落葉低木)・炭・練灰等、林産物の商品化に向けての活発な活動がうかがえます。
また、古代に開かれた大峰山への信仰がいよいよ盛んになったことで、数多くの寺院や関連施設の建築が進みます。
そして、たびたびの戦火によりこれらは幾度と焼失します。(蔵王堂は少なくとも3回)
こういったことから、吉野地方内部でかなり大きな木材需要が発生し、建築資材などは当然地元調達が行われていたと考えられます。
それは、村々から貢納されただけではなく、商品として生産される場合も登場したということが自然な流れです。
室町時代の「三十二番職人歌合」に材木売の歌があります。
「吉野木乃材もくなれハあたひをも花におほせてハなたかる也」
(吉野の木材は吉野の桜の花の評判に負けずに、自慢の木だから価格も高い。)
中世後期には吉野産木材は商品化され、銘柄化されていたことがうかがえます。
いよいよ吉野林業・人工造林のはじまりの考察に続きます。
参照:「川上村史 通史編」林業経済編第一章
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人の流れができて生活が生まれれば、そこにあるものを使って便利さや快適さを求めていきます。
令和の時代になっても国土の3分の2が森林である日本において、そこにある木を使うことが自然な姿なのでしょうが、そこにない鉄やコンクリートに利点を見出したからなのか、人々の生活が山や森から遠ざかり、そこにないものにしてしまったのか。
大きな災害や戦争などの不安に対して、木は弱点が多いのかもしれませんが、木の文化が大切にされることを願います。